2022/05/17
昭和の大歌手たちの人生を変えたアニメソングとの出会いとは……アニメ産業が飛躍的に発達した1980年代に起こった、アニメソングをめぐる人生ドラマについて、シンガーソングライター・音楽評論家の中将タカノリと、シンガーソングライター・TikTokerの橋本菜津美が紹介します。
【中将タカノリ(以下「中将」)】 菜津美ちゃんは、アニメは観るほうですか?
【橋本菜津美(以下「橋本」)】 そうですね、学生時代に『涼宮ハルヒの憂鬱』や『けいおん!』が流行った世代なので、よくチェックしてるほうだと思います。アニメソングも好きですね。
【中将】 今の若い世代の間では、アニメソングは音楽のジャンルの1つとして、ごく自然に受け入れられていますね。日本ではテレビアニメの流行をきっかけに1960年代から数多くのアニメソングが作られるようになりましたが、実は1980年代頃まで音楽シーンにおけるアニメソングの地位はあまり高いものではありませんでした。
【橋本】 そうなんですか!?
【中将】 子ども向けの音楽というイメージが強かったんでしょうね。実際に当時のアニメは子ども向け作品がほとんどだったし、曲も面白おかしいものが主流でしたし。歌手にもアニメソングを歌うことに抵抗を感じる人が多かったんです。
【橋本】 現代とは全然違うんですね…今はむしろアニメソングを担当したいという歌手やミュージシャンのほうが多いと思います。
【中将】 そういった状況が変化してきたのが1970年代後半頃からでしょうか。少しずつ大人もアニメに関心を持つようになった影響か、歌謡曲、ポップスとしても非常に質の高いアニメソングが生まれるようになりました。1980年代はアニメソングの黄金期と言っていいほど数々の名曲が生まれていますが、中でも特に有名なのは岩崎良美さんの「タッチ」(1985)じゃないでしょうか。
良美さんは先に歌手デビューしていた岩崎宏美さんの妹として鳴り物入りで1980年にデビューしました。宏美さんに負けない歌唱力が評価され『NHK紅白歌合戦』にも出演しましたが、シングルがいまひとつヒットしない。そんな悩ましい日々の中で出会ったのがアニメ『タッチ』の主題歌であるこの曲だったわけです。「タッチ」はオリコンウィークリーランキングで最高12位、1985年度の年間ランキングでも39位というヒットを収めました。
【橋本】 確かにヒットですが、私は「タッチ」はアニメソングの歴史でトップ5に入るくらいの大ヒットだと思っていました。なのに、ウイークリーランキングでは最高12位止まりだったんですね……。
【中将】 いい指摘だと思います。当時のアニメソングはヒットしても急浮上はせず、トップ10位に入ることは極めて稀だったんですね。購買層が若かったことなどいろんな要因があるとは思いますが……。
ともあれアニメの世界観を生き生きと表現した「タッチ」はロングヒットとなり、現代でも多くの人に愛されています。良美さん自身もこの曲以降、「愛がひとりぼっち」(1985)、「情熱物語」(1987)などアニメ『タッチ』シリーズの主題歌をいくつもヒットさせ、歌手としての地位を確立されました。
【橋本】 まさにこの曲との出会いが良美さんの人生を変えたんですね!
【中将】 その通りです。タッチシリーズ以外にもとってもいい曲が多いので、「タッチ」に興味を持った人にはぜひいろいろと聴いてほしいですね。
イメージは180度変わっちゃいますが、やしきたかじんさんもアニメソングとの出会いで人生が変わった人の1人です。1981年に放映された劇場版『機動戦士ガンダム』のイメージソング「砂の十字架」(1981)がたかじんさんにとって初のヒット曲。
【橋本】 たかじんさんがガンダムの曲を歌ってるなんて意外でした!
【中将】 晩年は政治色の強い情報番組の司会者として有名だったたかじんさんですが、そもそもはシンガーソングライター出身です。1971年に「娼婦和子」でデビューするも内容が問題視されて発売中止に。1976年に「ゆめいらんかね」で再デビューして実力は認められていたんですが、なかなかヒットが出ませんでした。
そんな中、当時たかじんさんを担当していたレコード会社のディレクターが上司に「たかじんにレコードを出させてください」と土下座しながら直訴し、その結果、劇場版『機動戦士ガンダム』のイメージソングとして制作されたのがこの曲なんです。ところが、たかじんさんはこの仕事に難色を示しました。
https://jocr.jp/raditopi/2022/05/17/428743/
森口博子
>>2
ビックリした~
>>2
ナイナイ
>>2
森口博子のは作曲したのが「恋の片道切符」のニール・セダカだからな
「ダイアナ」などのポール・アンカと並ぶオールディーズのアメリカンポップスの二大巨塔
やしきたかじんの哀・戦士はゴミ曲
スラムダンク×大黒摩季、コナン×倉木麻衣
杏里のキャッツアイは?
杏里も「キャッツ・アイ」の主題歌歌ってるが、当初はアニメソングなんか・・・って
バカバカしくて歌う気にもなれなかったとか言ってたな。
でも、きっかけは忘れたが、あるときからプロとして恥ずかしいと思うようになったとも。
私なんてガンダムですよ
>>9
それ違う。井森が「森口なんてガンダムですよ」と言ってた
たかじんの曲で一番売れたんだろガンダム
>>10 ライライいうところが、どういう感情で歌えばいいかわからなくて
作曲した人に質問したら合いの手か何かだと思えばいいとか返答されたってテレビで語ってた気がする
>>10
東京 じゃないんだ
>>10
んなわけねーだろ
>>10
舐めとんか?ホンマ舐めとんか
飯島真理は悪い意味だったのかもしれない
今日はマクロスの歌は歌いませーん!
もえあがーれ、ってやつ?
RADは君縄やる前から有名でした
今日はマクロスの曲は歌いませーん!
アニソンと歌謡曲の垣根を取ったのはゴダイゴの銀河鉄道999あたりだろ
その後からアニソンを普通の歌手が歌う時代になって、ドル売りや新人歌手の売り込みにアニソンを利用し始めた
>>21
さらば宇宙戦艦ヤマトの沢田研二
>>21
沢田研二の「ヤマトより愛をこめて」
>>21
たぶんゴダイゴだね、タケカワユキヒデがジャンプ創刊号から買い続けて保管してるようなオタクだったってのも関係はしてるかも
そのあたりから恥ずかしいとか表立ってアニメ主題歌を下に見るような人が居なくなったと思う
本格的にアニソンじゃないアーティストが入ってくるようになったのはシティハンターのTM以降、90年前後にビーイング系がアニメ主題歌でヒット飛ばすようになったあたりからじゃないかな
同時期ぐらいに水木一郎が注目されるようになって、アニソン歌手の歌うアニソンとそうじゃない一般アーティストの歌う曲ってのが区別化するような風潮が生まれたと思う
「タッチ」はタッチタッチ歌ってるだけでアニメソングってもまったく内容とリンクしてないじゃん
さらばヤマトの沢田研二が嚆矢だろうけど本人たちが作品理解してノリノリで書いて歌ったのは劇場版999のゴダイゴが最初だろうなぁ
>>38
ゴダイゴに至っては売れた西遊記がちょっと豪華な子供向け特撮だからな
アニメの世界観投影曲のハードルは低くかっただろうな
>>38
タケカワユキヒデが有名な漫画雑誌コレクター。つっても週刊誌買って保管してるだけだけど
松本零士の事知ってたんやろなぁ
たかじんのガンダムは自ら黒歴史にして、その後に影響なかったのでは
明日を救えバルディオスって救えてないやんとネタになってたな
吉田美奈子が参加した飯島真理のレコード持ってる
中原めいこもダーティペアの主題歌歌ってたな
飯島真理はアニメへの偏見が無かったら堀江美都子になれたかもしれないのにな
飯島真理、数年前のBSプレミアムでやってた「マクロス大投票」で愛おぼ披露してたがダメだったな‥
森口博子で不思議なのが
そんな嫌いなガンダムの曲を売れまくってる時にf91でまた歌い
さらにガンダム側もそんなことをいった森口博子にまた依頼してるところ
この時てガンダムヲタはどう思ったんだ?反対運動とかなかったの?ガンダムおじさん教えて
>>496
当時のオタクはバラエティ番組でのちょっとした自虐ネタに目くじら立てるほどバカじゃなかったんだよ
>>496
そもそも売れまくっていたのはバラエティタレントとしてであって歌手としての人気ではない
f91の前にサムライトルーパーでサンライズと仕事してるから過去の言動は不問
というかしつこく粘着してるのはごく一部のガノタだけ
>>496
当時もキッショいオタクがギャーギャー言ってるだけだったよ
今は今で誰でもネットを通して世間に意見を発することができる時代だから粘着ガンオタによる批判がやたら目に付くが割合から見たらカスみたいな人数だよ
クリスタルキングって北斗の拳の歌が売れる前から売れてたの?
何故泣くのです、ってやつがたかじんだと長いこと思ってた
まあ、岩崎良美も『なんでアニメ主題歌?』と当初は思ってたらしいが
ユーミンを目指してたようだけど売れない矢先にアニソンのオファーがきたから嫌だったんだろうな
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